八重河内の八幡社
様式
八重河内の霜月祭りは、飯田市南信濃にある、旧八重河内村の村社だった八幡社の祭りです。
この神社の起こりは、弘治(こうじ)元年(1555)に遠山土佐守景広(とおやまとさのかみかげひこ)が鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)から勧請したともいわれています。
この神社で不思議なことは、神社が位置する尾野島(おのしま)はじつは旧和田村だった和田地籍で、 逆に旧和田村の村社諏訪神社は八重河内地籍内にあることです。
八重河内の中心本村にある梁ノ木島番所(飯田市史跡)のすぐ裏手には、元八幡社といわれる祠がまつられ、もとはここにあった神社が水害で流されて尾野島に漂着したという伝承が語られています。
祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)と天伯(てんぱく)で、神殿の脇にある若宮の祠には遠山氏二代を象った神像がまつられています。
現在の切妻造(きりづまづくり)・妻入(つまいり)の社殿は、弘化4年(1847)に再建されたものです。
板の間の舞殿の中央には四角い炉が設けられ、鉄の五徳(ごとく)に湯釜1口が据え付けられます。
湯釜の真上に「湯桁(ゆげた)」とよばれる四角い木枠が吊され、それに張り渡した注連縄にはさまざまな切り紙が飾りつけられます。
これを「湯の上飾り」とよびます。
なお、湯桁に は安政6年(1859)の年号が記されています。
湯の上飾りのうち、「大千道(おおちみち)」は神々が天上から降りる道とされ、頂部には塩と米の入っ た包みが吊されます。
注連縄の各辺には、「小千道(こちみち)」「八つ橋」「十六のひいな」「八流れ(やながれ)の旗」 が付き、東隅にだけ「湯男(ゆおとこ)」とよぶ飾りが付きます。
この湯男の反対側の西隅が、太夫 が神事の際に主に立つ「立場」となります。和田では拝殿よりの隅でしたが、八重河内では入り口寄りとなります。
実際の方位にあわせて定められているのです。
八重河内の式次第
八重河内の祭りは、前日に準備をして、当日朝から湯立ての水を迎える「浜水迎え」がおこなわれます。
そして、神職による祭典を終えると、いよいよ「本祭り(古典祭)」の始まりです。
まず「湯の式」で祭場を歌によって清め、神々のやってくる道を開いたのち、祭場を踏み固める「踏みならしの舞」が舞われます。
そして、湯釜を開く「湯開き」があり、最初の湯立て「一の湯」が平年には12人、閏うるうどし 年には13人によっておこなわれます。
その後に「下堂祓い(げどうばらい)」の四つ舞となり、まず4人が扇を持って舞い、つづいて剣を持って激しく舞います。
「二の湯」は6人による湯立てとなります。
最後の「鎮め(しずめ)の湯」は12人・13人で、あらゆる神々や眷属(けんぞく)に湯を捧げます。
中折紙を宙に舞わせて面神を降ろす「やおとめ」ののち、「面(おもて)」となり、村内にまつる面神が続々と登場します。
「神送り」をしたのち、それでも祭場に残る神々や精霊を追い払うため、最後に「かす舞」「ひいな降ろし」「金剣(かなつるぎ)の舞」が最後に力強く舞われます。
面(おもて)
八重河内の八幡社の霜月祭りには、41面の面 おもてが登場します。
これらの面は普段はこの神社に保管されていて、和田の祭りではこれを迎えて祭りをします。
それは祭りが中断した大町の遠山天満宮や夜川瀬の愛宕神社などでも同様でした。
面を借りていく理由は、諏訪神社ほかの周辺神社にもあった面を、八幡社に預けて一緒に保管していたからといわれます。
面は、水の王・火の王、じいさ・ばあさ、猿からなる「役面」 5面のほか、遠山氏の御霊をかたどった7面、その他、村内の各地にまつられる神々の面からなります。
これらの面が作られたのは江戸時代の前半期から明治時代にかけてです。面の登場する順序はつぎのとおりです。
水の王
5周。
湯をしずめて、素手で湯を周囲にはねかけます。
1周目:腰まわり、2周目:湯伏せ、3周目:かけ真似、4周目:湯切り、5周目:腰まわり。
火の王
3周。
水の王や他の面と同様に、腰に両手をあてて、足を大きく踏み出しては仰け反るようにして歩きます。
その足運びは北斗七星を踏む歩みと考えられます。
八幡神社・遠山氏の御霊(ごりょう)・村内の祭神
神社の祭神面を先頭に、遠山氏の御霊や村内にまつられる神々の面が、火の王と同じ歩みで3周します。かつては「61歩踏んで帰れ」といわれましたが、61とは還暦(かんれき)すなわち「よみがえり」を意味します。
秋葉神社
木沢の四面(よおもて)のように湯釜の四辺を荒く飛び回ります。
ただし、これは近年になってはじめたものです。
ばあさ・じいさ
ばあさはションベンバアサや天鈿女命(あめのうずめのみこと)、じいさは神太夫ともよばれます。
ばあさは手に笹を束ねた湯タブサを持って登場し、村人を祓って歩きます。
遅れて登場したじいさは、半周したところで役人に呼び止められ、問答の末に上衣も刀も取り上げられ、ばあさを抱くようにして元来た道を帰ります。
猿
最後に登場する猿は、5周半します。
1周目は各隅で7回ずつ3回、2周目は5回ずつ3回、3周目は3回ずつ3回飛び上がります。
つまり七五三に舞うのです。
七五三縄と書いて「しめなわ」と読むように、面最後の締めくくりを意味します。
また、猿が舞うことで災厄が「去る」ことを祈っているのです。