中立・正一位稲荷神社/八日市場・日月神社
中立・正一位稲荷神社の様式
飯田市南信濃の中立と八日市場では、霜月祭りをそれぞれの神社で隔年交互(中立は西暦の奇数年、八日市場は西暦の偶数年)に開催されます。中立の神社は正一位稲荷神社、八日市場(中村)の神社は日月神社です。
祭日は12月8日でしたが、平成15年から12月1日に改められました。
中立の正一位稲荷神社の祭神は宇迦魂神(うがたまのかみ)とされ、稲穂を担いだ神像がまつられています。
この神社は宝暦12年(1762)には小さな祠としてまつられていたようですが、寛政元年(1789)に京都の東本願寺再建の木材を供出したことから「正一位(しょういちい)」を授かり、翌年に社殿を建築。さらに文久3年(1863)になって現在地に移転して再建されました。
神殿には中央奥に一社流れ造りの朱塗りの「御霊屋(おたまや) 」がまつられ、手前向かって右手には湯立てに使う湯木を置く「日待棚」があります。
拝殿の左奥にある小部屋は、祭りを主になってつとめる禰宜(ねぎ)や神名帳(じんめいちょう)奉読役の「神迎え」、祭りの進行をつかさどる「宮世話人」が籠もる「精舎(しょうじゃ)」です。この部屋にはその食事の世話をする「精舎のカシキ」以外、部外者の立ち入りは一切禁止されています。
舞殿の中央には火床が設けられ、2口の湯ゆ 釜がまが五ご 徳とくに据えつけられています。
神前に向かって左が「一の釜」、右が「二の釜」です。
その真上には「湯桁(ゆげた)」とよばれる四角い木枠が吊され、さまざまな切り紙で飾られますが、これが「湯のあて」です。
湯釜の真上には雄雌の2本をあわせた「湯男(ゆおとこ)」とよばれる幣束(へいそく)が吊され、その尻から湯桁の注連縄(しめなわ)にかけて「八つ橋」と「千 道(ちみち)」とよばれる切り紙が渡されます。
湯桁には正面(南)と向正面(北)には「鳥居」、左右面(東西)には「日月」が中央につき、そのほか「格子(こうし)」とよばれる切り抜きが貼られます。
舞殿の北東隅には、藁(わら)ツトに白紙の小幣12本、赤幣1本を差した「八 乙女(やおとめ)」が飾られます。
八日市場・日月神社の様式
八日市場の日月神社は、中立の正一位稲荷神社と隔年交互(中立は西暦の奇数年、八日市場は 西暦の偶数年)に霜月祭りが開催されます。
祭日はもとは12月8日でしたが、平成15年か ら12月1日に改められました。
この日に変更された理由は、その年に霜月祭りがない一方の神社でも12月1日に「朔日(ついたち)祭り」をおこなっていたので、それと合体させたので した。
八日市場の日月神社は、中立の正一位稲荷神社「上のお宮」に対して「下のお宮」ともよばれます。
神社の起こりについては、明治21年(1888)にここを利用していた寺子屋の火の不始末から火災にもあったために不明です。
言い伝えでは、神仏混淆の時代に 神社の下にある伽藍堂(がらんどう)の阿弥陀仏と一緒に迎えられてきたといわれます。
それを裏づけるように、日月神社の祭神面は金色に塗られた仏像の尊容を象っています。
社殿は昭和 29年(1954)に改築され、当時は「なとこ映画」や芝居なども、この屋内で上演されました。
神殿には中央奥に一社流れ造りの朱塗りの「御霊屋(おたまや)」がまつられ、その向かって右手には湯立てに使う湯木を置く「日待棚(ひまちだな)」、左手には合祀する「浅間様(せんげんさま)」がまつられています。
拝殿の左奥にある小部屋は、正一位稲荷神社とあるのと同じ「精舎(じょうしゃ)」です。
舞殿の中央には火床が設けられ、2口の湯釜が五徳(ゆがまがごとく)に据えつけられています。
神前に 向かって左が「一の釜」、右が「二の釜」です。
もとは木沢などと同じように土製の竈(かまど)でしたが、昭和24年(1949)に五徳に代えられたようです。
湯釜の真上には「湯桁(ゆげた)」と よばれる四角い木枠が吊され、さまざまな切り紙で飾られますが、これらも正一位稲荷神社と同じです。
なお、八日市場にはもう1社「鎌倉八幡社」があり、現在では個人でまつっていますが、どうも古くは霜月祭りと深い関係がありそうです。
中立・八日市場の式次第
中立・八日市場の祭りは、前日に準備と宵祭りをし、当日朝から湯立ての水を迎える「浜水迎え」がおこなわれ、昼過ぎから本祭りが始まります。
まず「ひよしの神楽」で祭場を歌によって清め、神々のやってくる道を開いたのち、「神名帳」を奉読して全国66ヶ国の一宮を迎えます。
そして、最初に「式の湯」とよぶ5立の湯立てがくり返されます。いずれも神社や集落内にまつる神々による湯立てで、その最後を「太夫舞」で締めくくります。
神社を湯で清める「宮浄め」に続いて、鬼門の隅にまつる幣に歌を捧げる「八乙女」があり、扇と剣(刀)による「四つ舞」が4人で舞われます。「天伯の湯」では使用済みの湯木を持って村人も湯立てに参加します。
「中祓い」で招待した一宮をお返しすると、以後は村内にまつる神々の祭りとなります。
赤い襷を締めた「襷の舞」に続いて、面神に湯を捧げる「鎮めの湯」があり、25面の「面」が登場します。
「かす舞」で残っている神々・精霊を追い返し、釜を崩す所作をして祭りを終えます。
面(おもて)
中立・八日市場の霜月祭りには25面の面(おもて)が登場します。
普段は中立の正一位稲荷神社に保管されており、八日市場の祭りには「面迎え」をして使用されます。
面の内訳は、安永3年(1774)の2面をはじめとする江戸時代中期の面が計6面、同末期の面が2面、明治時代が5面、大正時代が1面、そのほかの11面は昭和47年(1972)に盗難にあったため3年後に作り直されたものです。
面の登場する順序は次のとおりです。
大天狗(火王様)
祭りをおこなう神社の宮元禰宜が着けます。
一の釜の前に立ち、「火伏せ湯伏せ」の呪文(じゅもん)を唱え、九字を切ってしずめてから、湯を素手で周囲にはねかけます。
遠山氏の御霊・村内の祭神
遠山氏をかたどる「源王大神」「當王大神」「一の宮」「若殿」「大神」「二の宮」をはじめ、「三峯大神」「浅間大神」「高津大神」「鎌倉正八幡宮」など神社や集落内にまつられる神々の面が登場して竈を1周します。
四面(よおもて)
4人の若者が着けて、竈の周囲を荒く飛び跳ねます。
最後は拝殿に無理やり押し込まれます。
おじい・おばあ
最初におばあが登場して手に持つ榊の枝で村人を祓ってまわります。
遅れて伊勢音頭(いせおんど)にのっておじい(神太夫 かんだゆう)が登場し、最後はおばあと肩を抱いて帰ります。
小天狗(水王様)
祭りをおこなわないもう一方の神社の宮元禰宜が着けます。
一の釜の湯を素手で跳ねかけます。
宮天伯
最後に神社の守り神が木製の剣を持って登場します。
五方を踏んでにらみ、剣を振り、剣先を水平にかまえる動作をくり返します。
これで邪悪(じゃあく)を切り祓うのです。