小道木/川合の熊野神社
様式
小道木/川合の霜月祭りは、飯田市南信濃木沢の小道木集落にある熊野神社の祭りです。
祭日は12月14日でしたが、昭和63年から12月第1日曜日に改められました。
この神社は、古くは「熊野三社大権現(だいごんげん)」とよばれました。
寛元(かんげん)元年(1243)創建(そうけん)と伝わっており、もとは小道木橋を渡った対岸の「権現堂(ごんげんどう)」にありましたが、神様が道下にあるのをきらって社殿を焼いてしまったため、川合集落も一緒に協力して現在地に移したといわれます。
祭神は、大日孁尊(おおひるめのみこと)(天照大御神)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の3柱で、鏡をご神体としていますが、もとは3躯の仏像と随身像で、いまも「御隠居様(ごいんきょさま)」として別にまつられています。
神社は、神殿の前面には拝殿があり、さらにその前に板の間となる舞殿があります。
舞殿の中央には竈(かまど)が設けられ、2口の湯釜が据えつけられます。
神前に向かって左から「一の釜」「二の釜」です。もと土製の竈でしたが、昭和27年ころに煉瓦造(れんがづくり)となりました。
その真上には「湯桁(ゆげた)」とよばれる四角い木枠に、さまざまな切り紙を飾る「湯のあて」があります。
湯釜の真上に吊された「湯男(ゆおとこ)」とよばれる幣束(へいそく)の尻から、湯桁(ゆげた)の注連縄(しめなわ)にかけて「八(やつ)橋」と「千道(ちみち)」とよばれる切り紙が渡されます。
湯桁には正面(南)と向正面(北)には「鳥居」、左右面(東西)には日月を表した「日天子月天子」が中央につき、そのほか「格子(こうし) 」とよばれる切り抜きが貼られます。
舞殿の北東隅には、藁(わら)ツトに小幣を差した「八乙女(やおとめ)」が飾られます。
また、屋外のご神木には、白・赤の紙を折った幣束12本を差した「神おろしのおやま」が結びつけられます。神々を迎える標木です。
小道木の式次第
小道木/川合の祭りは、当日朝から準備をして、昼過ぎから本祭りが始まります。
まず「日吉の神楽」で祭場を歌によって清め、神々のやってくる道を開いたのち、「神名帳」を奉読して全国66ヶ国の一宮を迎えます。
そして、最初に「式の湯」とよぶ7立の湯立てがくり返されます。いずれも神社や集落内にまつる神々による湯立てで、その最後を「太夫舞」で締めくくります。神社を湯で清める「宮清め」に続いて、鬼門の隅にまつる幣に歌を捧げる「八乙女」があり、扇と剣(刀)による「四つ舞」が4人で舞 われます。
「天伯の湯」では使用済みの湯木を持って村人も湯立てに参加します。
「神返しの神楽」で招待した一宮をお返しすると、以後は村内にまつる神々の祭りとなります。
赤い襷を締めた「襷の舞」に続いて、面神に湯を捧げる「鎮めの湯」があり、37面の「面」が登場します。
「かす舞」で残っている神々・精霊を追い返し、釜を崩す 所作をして祭りを終えます。
面(おもて)
小道木/川合・熊野神社の霜月祭りには、37面の面(おもて)が登場します。
その内訳は、江戸時代中期の面がおよそ5面、同後期の天保9年(1838)が1面、同末期が12面、明治時代 が17面、昭和が2面です。面の登場する順序はつぎのとおりです。
大天狗(火の王)
宮元禰宜が着けます。
一の釜の前に立ち、「火伏せ湯伏せ」の呪文を唱え、九字を切ってしずめてから、素手で周囲にはねかけます。
熊野三社・村内の祭神
熊野神社の祭神3面をはじめ、小道木・川合地区内にまつられる神々の面が続々と登場して竈を1周します。
四面(よおもて)
遠山川でコリトリ(禊ぎ)をした4人の若者が着けて、竈の周囲を荒く飛び跳ねます。最後は拝殿に無理矢理押し込まれます。
両老人
最初にばあさが登場して手に持つ榊で村人を祓ってまわります。いたずらをされると、その者の頭を叩いたりもします。
遅れて伊勢音頭にのってじいさが登場し、最後はばあさと肩を抱いて帰ります。
稲 荷
お狐様の面が狐の真似をして舞います。
小天狗(水の王)
祭りの進行を司った「湯木係」が着けます。
一の釜の湯を素手で跳ねかけますが、このとき宮元禰宜が背後で「火伏せ湯伏せ」の呪文を唱えます。
宮天伯
最後に神社の守り神が木製の剣を持って登場します。五方を踏んでにらみ、剣 を振り、剣先を水平にかまえる動作をくり返します。
これで邪悪を切り祓うのです。最後に拝殿前で釜を向き、顔で「叶」の字を描いて退場します。