遠山郷の霜月祭りとは
祭りと季節
遠山の霜月祭りは現在12月に開催されますが、江戸時代には旧暦霜月(しもつき・11月)の祭りでした。
ではなぜ、その時期に祭りをしたのでしょうか。
それは、旧暦霜月には必ず冬至(とうじ) があったからです。
ご存じのように、冬至は一年でもっとも昼が短く、もっとも夜が長くなります。
たとえば飯田市では夏至の昼間の時間は14時間半であったのにたいして、冬至にはわずか9時間半にすぎません。
そして、冬至に向けて日照時間が短くなるにつれて、緑だった山々の木々は秋になると紅葉し、やがて葉を散らします。
気温もしだいに下がってゆき、高い峰々には雪がかぶり、やがて里にも霜が下り雪が舞い、凍てついた冬を迎えます。
こうした自然現象を、古代の人びとは万物の生命の源である太陽が衰すいじゃく弱し、他のすべても衰える季節と考えたのです。
ところが、冬至を過ぎると一転して日照時間はしだいに長くなっていきます。それを太陽の復活再生と考えました。
この一陽来復(いちようらいふく)となる、太陽の衰弱と再さいせい生という重要な節目に、神も人も自然界のすべてが生まれ清まることを願う祭り、それが霜月祭りなのです。
祭りと夜
祭りは夜間におこなわれますが、これにも重要な意味があります。
神は昼間でなく夜に迎えてまつるというのが日本の祭りの古い形でした。
太陽が沈む夕刻の頃に神々を迎え、一夜を徹してもてなし、夜明けに神々を返すのです。
祭りを終えて迎える日の出は、新たな太陽のよみがえりを意味します。
祭りをつとめ上げた村人たちは、それを拝むことで自らの活力のよみがえりを実感するのです。
湯立て
遠山の霜月祭りは、湯立てが何度もくり返されますが、これは天竜川流域の、とくに信州側の霜月神楽に共通した特徴です。
神社の中に設けられた竈(かまど・湯釜)を中心に、湯立てなどの神事や舞がおこなわれます。
湯釜には聖なる水と火によって聖なる湯が立てられます。
この湯を神々に捧げ自らも浴びることで、命を清めてよみがえりを願うのです。
また、湯釜から立ち上る湯気は天上への架け橋となり、これを伝って全国66ヶ国の一宮をはじめ、地域の神々までを湯の上飾りに招き寄せるということ
なのでしょう。